終戦記念日8月15日の靖国神社で初めて参拝してみた(オマケ:遊就館見学)

靖国神社の入口

よくテレビで政治家が靖国神社を参拝するとニュースになったりしますが、はたして日本人が日本の神社にお参りすることが何が問題なのでしょうか。そもそも靖国神社ってどんなところなのでしょうか。去る8月15日、終戦記念日に靖国神社へお参りに行きましたので、初心者なりにレポートしてみたいと思います。

私は靖国神社のスグ近くにあった九段中学校(後の九段中等教育学校)に通っていたので、同級生と靖国神社の「みたま祭り」には行ったことがありましたが、恥ずかしながらまともに参拝するのは初めてです。

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終戦記念日8月15日の靖国神社で初めて参拝してみた(オマケ:遊就館見学)

なぜ靖国神社に興味を持ったのか

正直、靖国神社の役割というか成り立ちはさっぱり知りませんでした。「第二次世界大戦というか大東亜戦争(太平洋戦争)で戦死した方々が奉られていて、そのなかには東条英機などのA級戦犯も含まれている」程度しか学校では習っていなかったので知りませんでした。

新聞やニュースなどでは外国(といっても中国と韓国だけですが)から「靖国参拝反対!」とか言われながらも、日本の政治家は「おいら参拝するんだー」「ちょ、待てよ」となったりしていると報道されていて、何が何だか正直意味が分かりません。

そのため、この機会に日本人として自分の目で見てこようと思ったわけです。

あと、最近かわぐちかいじの漫画を読む機会があったのも理由の一つです。「沈黙の艦隊」と「ジパング」です。これらは単にニッポンバンザイ的な右傾の作品と思ってましたが、読んでみると意外とそんなこともなくなかなか面白かったのです。

どちらも実話をアレンジしたSF漫画ですが、日本のダメなところはダメ、良いところは良いと言っているのです。そして戦争というものの正義の捉え方や国同士の駆け引きに興味を持ち始めました。

で、新聞やニュース(特にテレビ朝日とTBS、NHK)が「日本は悪いことをしてきたヒドい国だ」と報道することが増えていますが、これらマンガを読んだことをきっかけに多少なりとも日本やアジアの歴史を勉強してみたら、「果たしてあなたたち報道の言ってることってホントなの?なんか中国韓国の味方じゃないの?」と感じ始めました。

新聞やニュースなどの大手マスコミが正しいと教わってきましたが、その答え合わせが靖国神社に行ったらできるような気がしたからです。

靖国神社に到着

東京都千代田区九段下にある靖国神社の最寄り駅は、東西線・都営新宿線の九段下駅となります。私は原付バイクで行ったのですが、とりあえず九段下駅の周りをぶらぶらします。

終戦記念日ということだけあってか靖国神社周辺のお巡りさんの数がすごいったらない。こんなに必要なのか?てか、こんなにいるお巡りさんは普段はどこでなにやってんだろ?など思いながら駐車場を探します。

写真は飯田橋から九段下に向かったホテルグランドパレスの前あたり。バリケードばりばりです。

靖国神社の警備

靖国神社と武道館の間にある歩道橋からパシャリ。厳戒態勢です。

靖国神社と武道館の間にある歩道橋

靖国神社の敷地内に駐車場は何カ所かありました。なんと都内一等地にもかかわらずクルマもバイクも駐車料金は無料でした。ちなみに駐車場の営業時間は午前8時から午後10時までです。

私は敷地中央あたりの駐車場にバイクを停めて、入り口の大鳥居のあたりまで戻ります。近くでは「正しい教科書を作る会」みたいな団体が署名活動をしています。

靖国神社の混雑状況

教科書って文部科学省が認可したものが学校では使われると思ってましたが、じゃあなにかい?オイラが教わった今までの教科書は正しくないのかい?いろいろ謎でしたが人が多く面倒になり、また靖国神社の方へ向かいます。

入り口ではイカしたTシャツを売ってます。ちょっと過激だな。。

靖国神社の靖国Tシャツ

テレビ局の取材班もいくつかあって、アンケートをとっています。なかなか興味深い結果が見て取れます。

30数年前に「中国と韓国は発展途上国だし、日本は悪いことをやってきたんだから優しくしなきゃいけないんだよ」と小学校の先生からは習いましたが、それは彼らの作戦で、日本から甘い汁を吸うためのものであることはもうバレてましてね。このシールを貼った皆さんはよくご存じのようです。

靖国神社前のアンケート

靖国神社の境内に入ってみた

靖国神社の大きな鳥居をくぐり、境内に入ってみました。まあ平日の昼間なのに人の多いこと多いこと。

参拝者を見ると意外なほど年代層も幅広く、子供連れもたくさんいます。また、いかついスーツを着こなすEXILEのATSUSHIみたいなアニキたちも多数いらっしゃいます。

あと写真には撮れませんでしたが、コスプレでしょうか。帝国陸軍と帝国海軍の制服を着たお兄ちゃん(たぶん30代)が仲良く肩を組んで歩いていたりしてました。戦没者をチャカしているなんて言われそうですが、彼らなりの愛着の表現方法なのでしょう。

うろうろしていたらタバコを吸いたくなってしまったので敷地中央の駐車場近くの喫煙所で一服します。境内喫煙所案内図の画像はこちら。本来、神社境内の喫煙は気が進みませんが背に腹は替えられません。

靖国神社の境内案内図

タバコを吸ったら缶コーヒーが飲みたくなるのは世の常。近くのドリンクの自動販売機を見ると張り紙が。。。「冷えてませんよ、だってすげー売れるから補充したばっかだし」と書かれてます。買ってみるとほんとにヌルいです。。

靖国通り沿いの駐車場の方をふと見ると看板があり、驚きの内容が書かれています。

「行事につき8月14〜15日の期間中は街宣車の境内乗り入れを禁止しますと書かれています。

靖国神社の立て看板

ほほう、じゃあ行事以外の期間は街宣車が入っていいんですねぇ。さすが表現の自由が保障された国、日本だなぁと関心しました。いや本当に。

そのあともずいずい進んでいきます。なぜか警備会社ALSOKのテントがあります。

靖国神社のALSOK警備本部

靖国神社の手水場(ちょうずば)に着きました。手と口を清めます。

靖国神社の手水場

突然ですがワンポイントレッスン♪ 神社やお寺にある手水場の作法としては次の通りです。

1)右手にひしゃくを持ち左手を洗い
2)左手に持ち替えて右手を洗い
3)右手で水をためて口をすすぎ
4)さらに右手を洗い
5)すすいだ水を吐いたところに水をかけて流し
6)最後にひしゃくに水を入れたまま、ひしゃくを上に向けて立てることで柄の部分を水で流します。

めんどくさそうですが慣れるとそうでもありません。たぶん。豆知識でした。

近くには献木があります。おお、旧歩兵第三連隊速射砲中隊とな。他にもたくさん似たような木があります。第二次世界大戦からだいぶ経っているのに、わりと最近も植えられてるんですね。。

靖国神社の献木

門をくぐって参拝の列に加わります。すごい人で混雑してます。ていうかめちゃくちゃ暑い。8月だもんね。

靖国神社の正門

ふと周りを見渡すと、けっこう外国人がいらっしゃいます。

アジア系、白人、黒人、、、話し声からも、中国語や英語、フランス語、ポルトガル語?あらゆる人種のあらゆる言語が聞こえてきます。靖国神社へ観光気分で来る外国人を嫌う人もいるかもしれませんが、私のように興味本位で来る日本人もいるので多めに見て欲しいものです。

いずれにしろ、テレビでぎゃーぎゃー言われているこの終戦記念日の靖国神社へこれだけ外国人が来てくれるってのは、メディアが言うほどそんなに悪いことじゃないんじゃないかしら?などと思いながらひたすら待ちます。

靖国神社の行列

ようやく拝殿が見えてきました。お賽銭をお渡しして、二礼二拍手一礼をします。

靖国神社の本堂

自分の番になってふと気付きました。来てみたものの私は戦没者遺族でもないし、ニワカ勉強したもののそもそも靖国神社の歴史もぜんぜん知りません。何をお参りしたらいいのか分かりません。俺、場違い?

でも先人が多く眠ってるんですね、日本のために戦ってくれた方も眠ってるんですよね、おかげさまで日本で平和に暮らさせて頂いてますどうぞ安らかに、とお祈りしました。

靖国神社の千羽鶴

ここでも報道陣がカメラを構えてます。在京キー局全部いたかな。

靖国神社の報道陣

完全に興味本位で来てしまったなんだかごめんなさい。あとで勉強します。

靖国神社に隣接する遊就館へ行ってみた

さぁて帰るかと思っていたら、なにやら遊就館というところで特設展をやっているとのこと。大東亜戦争七十年展とな。

靖国神社の大東亜戦争70年展

ていうか、そもそも「遊就館」って何?記念館?博物館?何度かこの辺りを歩いたことはありましたが、そんな建物があることを知りませんでした。

すでに時間は16時を過ぎています。この手のものはきっと18時には閉館するはずです。迷っている時間はありません。案内図にそって足を進めると見えてきました。なにやら立派な建物です。

靖国神社の遊就館

遊就館の建物に入ってみるといきなり本物の零戦がお出迎え。おおーかっちょいー。がしがし写真を撮りまくります。

靖国神社の遊就館のゼロ戦 靖国神社の遊就館のゼロ戦

軽量化のために頭をカットされたリベットや、脚のギミック、空母着艦用のフックなど。可動部分を増やすと剛性が落ちて重量も重くなるからと思いますが、本体と羽との接合部分の曲線なんかも美しく、機能美の塊です。なんだか男の子としてはたまらんです。

靖国神社の遊就館のゼロ戦靖国神社の遊就館のゼロ戦靖国神社の遊就館のゼロ戦 靖国神社の遊就館のゼロ戦プロペラ靖国神社の遊就館のゼロ戦資料

ちなみに、ジブリアニメの「風立ちぬ」は実在した航空技師をモチーフにしたお話でゼロ戦などの話が出てきますね。共産主義者で戦争反対を訴える宮崎駿が武器や兵器、戦闘機、戦車にめっちゃ詳しいのは有名なお話でして。

ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社

他にも移動砲台のようなものが展示されています。ちなみに、ここまでなら入場料はかかりませんのでタダで見ることができます。

入場料800円を払って2階へ上ります。ここからは写真はありません。そう、遊就館は一階の零戦あたりを除き、全面的に撮影禁止です。なぜなの?写真撮っちゃ都合悪いことがあるの?

なんらかパブリックプロモーション的な意味合いで建てられたんであれば、邪魔にならない程度に写真撮ってもいいじゃない。許可取りとか著作権とか問題あるだろうけど、一切合切撮影禁止ってなんやねん。けち。バカ。ムカつきながら本展の展示室に進みます。

結論からいうと特設展「大東亜戦争七十年展」は時間の都合見ることができませんでした。というのは常設展の展示量が多すぎるし濃いし、駆け足で見ても時間が全然足りなかったからです。

常設展示では、日本神話や天皇ご一族の話から現代までの日本および日本に関わった国々の歴史がずらーっと年表順に展示されています。世界で最も長く現代まで続いている国は日本しかないこともよく分かります。このボリューム、観光地のお寺や神社によくある資料館とは比較になりません。閉館まで1時間少々しかなくかなり足早に見て回りました。見ている内に何となく学校で習ったのを思い出してきました。展示品も手抜きがなく至る所に貴重そうなものがゴロゴロあります。

特筆したいのは、戦争関係の展示ってどうしても勝った側に都合良く書かれてたりするのでしょうけど、ここのは勝者も敗者もどちらの意思意図もバランスよく表現されていることです。これは本当に素晴らしかった。

戦争にはどちら側にも都合と思惑があったし、どっちにも犠牲者はいたし、勝てば官軍じゃないんだよってことがすごく分かります。しかし負けると裁判で有罪になるわけで。東京裁判なんてその最たるもの。

そしてなにより戦争は繰り返しちゃいけないってことがよく分かる展示でした。戦争は本当に辛く悲しいものです。私も戦争反対です。

だから本当に戦争反対な人ほど遊就館に来て欲しい。「戦争になるのは嫌だから武器を捨てよう、武器を持たないようにしよう」なんて綺麗事は、敵が有利になるだけの詭弁であることがよく分かります。そんなの「泥棒を捕まえたくないから、犯罪者を増やしたくないから、家に鍵をかけるのを止めよう」と言っているのと同じなわけです。

戦争はしたくないから武力を持つ。そして経済面でも優位に立ち、如何に交渉を有利に行って戦争回避する。こうした抑止力を身につけることが戦争をしないための最強な方法であることは歴史が証明していることが分かります。逆にどちらかが欠落した国家は簡単に隣国から侵略されてしまうことが分かります。

戦争を経験した方から、戦争を知らない若い方までここに来て、戦争はダメだってことを肌で感じて欲しいと思いました。

むしろ遊就館をよく見て頂いて、感じた気持ちを胸に靖国神社へお参りして欲しいです。ていうか、ちゃんと広報すれば客来るのになにやってんの。今日まで知らなかったよこんなところがあるのは。

そもそも靖国神社とは?

で、当然ですが靖国神社の成り立ちも展示してありました。なんだか順序が逆なようですが少し説明させて頂きます。

靖国神社は、もともとは「東京招魂社」という名前で、ざっくりいうと1868年に終戦した戊辰戦争のあたり、江戸時代の終わり頃に幕末維新の戦没者(殉国者)を慰霊するために創建されたそうです。

で、それが以降の戦争での戦没者も合祀(いっしょに御まつりする)を繰り返して今に至ると。戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と。で、一番戦没者が多いのが太平洋戦争(213万人)。それら戦没者は「英霊」として、いわゆる神様として祀られているということらしいです。

古より「八百万の神」を信仰する日本人としては、現代の礎として、いわば時代の生け贄になった方々を慰霊(賛美・賞賛ではなく、あくまで慰霊)するのはあまり不思議なこととは感じられません。むしろ近代日本の痛々しいところから目を背けるよりも知ることのほうが有意義に思いました。

靖国神社に対するツッコミどころがあるとしたら、靖国神社(と呼ばれるようになった頃)が大日本帝国軍によって運営されたという点。

でも、それを言ったら軍隊や戦争のなかった国なんてないわけですし、アメリカにもアーリントン墓地のような戦没者霊園が立派にあって、他国も同様かと思います。戦没者霊園を慰霊することが戦争賛美にはならないでしょう。違いますかね?

突っ込みどころがもう一つあるとしたら過去を見れば政府側の戦没者を主に慰霊していたこと。これも現代において反政府な界隈からすれば言いたいことは多いのでしょうね。

もちろん私とて絶対に古今東西とも政府側が正しいとは断言しないけど、でも例えば国家転覆みたいな今で言うテロみたいなことをやった人を政府準管轄の神社として英霊として祀れます?って話になるわけでね。まあ私もにわかなんでこれ以上言えませんが。

個人的な疑問「侵略って何?」

私は大きな疑問をひとつ抱えていました。よくテレビなんかでは、過去に旧日本軍が侵略したとか戦地と化したとか、そんな国々がアジアにたくさんありますが、なのに、そんな被災国にかぎって親日派が多い様な気がするのです。台湾とかインドとか。

おかしいですよね。ずっと不思議に思っていましたが、テレビなどのメディアではさっぱり取り上げられてません(私が覚えていないだけかもしれませんが)。ちょうどこの機会に展示を見て調べてみようと思いました。

調べてみると、当時、これらアジア諸国はもう正直笑っちゃうほど見事にヨーロッパ諸国&アメリカの植民地でした。お前のものは俺のもの的なジャイアン状態。

いや他国が侵略しまくってるから日本も侵略して良いんだとは言いませんよ?でも、こんなんで日本ばかりが「侵略国家ガー」「軍国主義ガー」なんて言われっ放しなのはなぜなんでしょうか。

ネットから拾った画像を貼ります。当時はこんなんだったんですよ?

大東亜戦争当時の領地

そんなとき大東亜戦争(太平洋戦争)では、アメリカによって輸入による資源確保が望めなくなった日本が、アジア諸国へ進行していきます。で、日本が本当に残虐なだけの国ならそれらアジア諸国の甘い水だけ吸って面倒になったら皆殺しとかするのでしょう。

でもどうです?日本は侵攻した国にダムや上下水道などライフラインを張り、学校や施設を整え、工場を作り、娯楽も作りました。さらに各国の独立を支援した側面もあります。こうした投資は特に台湾、朝鮮半島、満州あたりはガチでした。

もちろん戦争中に日本が平和の伝道師に徹する理由もなく、打算的に、戦いやすいように、まああわよくば共同戦線で頑張ろうという戦略性も強いでしょうし、なかには略奪や暴行など悲惨なこともあったでしょうが、結果論として各国のためにもなってきたようです。

ベトナム戦争でどさくさ紛れに子作りしまくった某国とは訳が違います。

余談:当時、朝鮮は恵まれていた

この戦争と直接関係ない余談ですが、朝鮮に至っては、日本は三国干渉をはね除けてヨーロッパから朝鮮を守りつつ(利的目的や戦略目的も当然あったでしょうが)、それでもロシアやアメリカなどにプレッシャーをかけられた朝鮮が日本に併合(侵略ではなく、いっしょの国になる)を求めて来て、日本はこれに応じ、でも併合慎重派だった伊藤博文がなぜか朝鮮人に暗殺されて併合が実現し、日本は莫大な費用をかけて各種インフラ整備をして朝鮮を日本と同等の文化レベルまで引き上げてハングル語も復活させました。

くりかえしますが日本は朝鮮と戦争をしたこともないし、占領・侵略したわけでなく朝鮮側の要望で「併合」したのです。

併合とは対等に日本の一部になることです。第二次世界大戦当時には朝鮮人も日本人になったのです。付け焼き刃ではなくガチで朝鮮に投資もした。

だから大日本帝国軍にも朝鮮人がいたし、戦没犠牲者もいたし、戦時中に日本人の多くがやむなく強制労働させられたのと一緒に朝鮮人もいただけの話です。朝鮮人は日本人として、日本人の苦労をともにしただけなのです。もっと正確に言うと朝鮮で発行された新聞でも日本での仕事の斡旋広告があり、仕事が欲しくて日本へ出稼ぎしにきた朝鮮人が多数いました。

戦後、日本に来た朝鮮人へは帰国用の船が大々的に用意されましたが一部は残留を拒否。つまり朝鮮に帰りたくないと。さらに朝鮮に帰国した人の一部は小舟で日本に戻ってくる密入国者もいました。その一人がタレントのアンミカさんですが、これは本人も言っている事実です。

要するに日本に強制的に連れてこられた朝鮮人は絶対にゼロではないでしょうが極々少なく、基本的には仕事が欲しいから日本に来た。そして帰国する方法も与えられていたのに密入国してまで日本に残った。それでいて「日本は私たちを強制的に日本に連れてきた補償しろ権利くれ」と騒いでいる。これのどこがフェアですか?密入国したアンミカさんだって平気でタレント活動できるくらい日本はちゃんとやっているじゃないですか。こんな懐の深い国が他にどこにありますか?これ以上何を求めるんですか?

ってことで、終戦後に独立した韓国がなぜか日本へ賠償金を求め、太っ腹なことに日本は日韓基本条約でこれに応じたのに、なぜかまだ謝罪と賠償を求められて、、、って、日本はどんだけ良い人なん???という一幕もあったようです(現在進行形)。

東京裁判と「パール判事」

ともあれ実際に太平洋戦争の終結後、これらアジア各国の独立運動がヨーロッパ諸国やアメリカにも押さえられなくなって次々に植民地支配からの解放を果たしていった事実があります。インドもイギリスからの独立に成功しました。

終戦後の東京裁判は、当該戦争の責任を日本に全て負わせる勢いでしたが、インド代表判事となった法学者「パール博士」はいわゆる戦犯の全員無罪を主張するようなこともあったそうです。

遊就館の近くにはパール判事の石碑が建てられていました。

東京裁判パール判事

・・・という背景から、アジアに親日の国がいてくれるようです。なるほど。個人的にはだいぶ謎が解けた感じです。

で、また展示についてですが小物だけではなく、最後の方には戦車や魚雷などの大型展示物もありました。

さらに人間が乗り込んで敵艦に体当たりする特攻兵器「桜花(おうか)」や特攻潜水艇「回天(かいてん)」もあります。あとは戦没者の遺影や遺品など。このあたりは精神的に見るのも辛くてダメでした。

 

まとめ

靖国神社

初めての靖国神社参拝にとどまらず「遊就館」の展示を見ることで、色々と分かった気がします。

日本は戦争に負けましたが、結果論、多くの植民地が独立するきっかけを作れました。日本は特にアジア諸国の産業化や教育レベルの向上にも寄与していて、戦後のアジアの地位をより高いものにすることができたと思います。そのなかでたくさんの悲しい出来事もあったと思いますが、日本人はもう少し胸を張って生かなければおかしいと思うようにもなりました。

戦争や歴史の認識は人によって異なるでしょうし、上記も多少の順違いや細かい勘違いはあるかもしれません。でも大きく間違ってないと思います。とにかく調べれば調べるほど分かってくるんだなぁ。

最後の疑問。学校やメディアはなぜ本当のことを教えてくれないの?誰のためなの?それでも日本は世界に謝罪し続けなければならないの?と謎は深まるばかりです。

もう一度、遊就館でじっくり見て、ネットで調べるなどしてみたいと思います。

 

お出かけデータ

アクセス地図

東京都千代田区九段北3-1-1 03-3261-8326

JR
・中央・総武線各駅停車「飯田橋駅(西口)」、「市ヶ谷駅」より徒歩(約10分)
地下鉄
・東西線/半蔵門線/都営新宿線「九段下駅(出口1)」より徒歩(約5分)
・有楽町線/南北線/都営新宿線「市ヶ谷駅(A4出口)」より徒歩(約10分)
・東西線/有楽町線/南北線「飯田橋駅(A2出口、A5出口)」より徒歩(約10分)
バス
・九段下~高田馬場系統「九段上停留所」より徒歩(約1分)

正式参拝受付時間

3〜10月 午前8時〜午後4時30分
11〜2月 午前8時〜午後4時

公式サイト

あわせて読みたい
靖國神社 明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る神社。概要、年表、拝観案内。

 

 

以上、最後までご覧下さりありがとうございました。

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